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暮らしはまるでクルーズ船

   

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 ちょっと振り返ったことを書いてみたいと思います。


 それはソーシャル・ディスタンスというコロナ以降によく使われるようになった言葉です。


 タイトルの「ソーシャル・ディスタンス」というのを直訳すれば「社会的な距離」ということになるでしょうか。


 それがコロナ感染抑止と関係があるとされました。

 「お互いに距離を持ち接触を控えましょう」ということでしょうか。



 すると今、コロナが収束したように見えるこの段階では、また輪になれる社会になるということでしょうか。



 それは間違いのように思えてなりません。




 政治家が好んで取り入れるようになったこの「ソーシャル・ディスタンス」という標語は、本当はもっと生々しく、率直に説明されるべき言葉だったのではないかということです。


 それは、「他人を信用するな」ということ。


 だれが保菌者であるかは分かりません。

 もはやワクチンを接種した人は体内で変異ウィルスを培養しているような状態に思えます。


 ワクチンで感染は防げず、重症化が防げるなどと言いながら副作用で人が苦しんでいます。


 またワクチンには副作用があり、死亡することも分かっています。

 今は副作用死亡で認定された人は数十人ですが、実際の死亡は多くなってゆくのかも知れません。



 自分だけは助かりたい、偉い人の言われれば従う、そういう人々がワクチンを盲信し、判断能力を失ってきました。


 今度は彼らは他人も自分と同じ恐怖を味わうべきだと考えるようになるのではないか。


 「他人を信用するな」ということです。




 誰がワクチンのリスクを抱えているかも分かりません。

 自分と家族以外の他人がどんな生活をしているかは普通は分かりません。

 

 すでに言われていることですが、武漢ウィルスの初期には、彼らは性的な接待を伴う中国人のサービスを武漢で受けて感染した可能性がありました。


 記憶に新しいことですが、武漢から帰国した男性は検査を拒否し、制止を振り切って自宅に帰ってしまいました。

 あれはなぜだったのか。

 もし検査して陽性であれば、「武漢で性的サービスを受けていたことが家族にバレる」と、彼は心配したのではなかったか。


 その人物は50代男性で武漢に度々出張で訪れていました。

 もちろん武漢は中国のシリコンバレーとして栄えていましたから、風俗も盛んでした。




 しかし武漢から発生したと言われていたにも拘わらず、この国は新型コロナが発見された後も中国人を受け入れました。


 その中国は西側のワクチンを受け容れていません。

 中国は感染抑止に未だにロックダウン政策を取っています。


 我が国の政治家たちが「春節のインバウンドで国内観光業が儲かる」などとやり、コロナウィルスを拡散させてしまったのは周知のとおりです。


 対して中国は今でも西側のワクチンを信用はしていません。




 どんな統計的な嘘をつこうが、この国の経済は停滞したままです。

 財務省が無理やり崩壊させ、潰れたバブルをソフトランディングという生ぬるい方法によって未だにこの国には経済に大きな後遺症が残っています。


 それは未だに差し押さえられた当時のバブルの後始末、その土地にタワーマンションが出来ていることからも明白です。


 まだ日本はバブルの後遺症を引きずっています。



 それを隠そうとしたのは官僚たちでした。

 彼らはその失策が表ざたになり、官僚批判に結びつくことを避けようとしました。

 今でさえ、マスコミを使い、なぜか政策立案の責任は官僚にありながら、マスメディアは政治家にその責任を求めています。

 政治家はスーパーマンのように、コロナ感染症対策や景気対策を立案せよと迫られているのです。



 そのため政治家たちは追い込まれました。

 だから安易に無責任に危険なワクチンに手を出した。

 そしてGoTOなどのコロナ対策とまるで矛盾した政策さえ維持し続けた。



 どんな景気刺激策でも飛びつこうとしました。

 そしてそれがたとえ無法者の中国人であろうと、どんな独裁政権下の奴隷たち、工作員たちであっても受け容れました。


 それがこのていたらくです。




 そもそもコロナを初期に感染させた人々というのは中国とのつながりが必ずどこかであった。

 それのどこが悪いのだと、彼らは強弁し、自分たちの後ろめたさを隠し、個人の権利を言い立てたのです。


 一次感染者はそうして感染を広げました。




 妻帯者であっても、今でさえ、コロナ感染での自粛のストレスを言い訳にして、性的サービスの享楽に耽っているのかも知れません。


 それはカルト信仰のようにしてワクチンに走り、他力本願になっている人も同じだと言えます。

 得体の知れないワクチンが接種されたのです。



 すなわち、これはかつてのエイズの感染拡大と続く薬害と同じように思えます。


 医者、官僚、政治家、道徳的な疑いがある人々が感染と被害を拡大させていると言えます。

 しかもその失策を隠したいがためにわざわざ人々との接触をさせたり、未だにワクチン接種を奨励している。

 それが言い訳、アリバイになるからです。



 これを公然と言えば感染者は潜伏するようになり、彼らは感染を意識的に拡大させようとするかも知れません。

 しかもこれを制限できる法律は未整備です。



 政府は苦肉の策として「ソーシャル・ディスタンス」という英語を使い出したのです。


 だから、この意味は、別に「公共の場で、お互い他人は距離を持ちましょう」などという、生ぬるい意味ではなかったのかも知れません。




 「他人を信用するな、感染者、保菌者がいる可能性がある。

 彼らは中国人の性的サービスを受けていたり中国人と接触していた可能性がある。

 次に彼らは自己責任のワクチン接種という原則を受け容れられないで他人に押し付けようとする。

 自分の身を守るため、家族を護るため、家族以外を信用するな。 」



 これが真意なのではないか。




★ 感染を拡大させるのは病的に自分を抑えられない人々ではないのか。


 結局、誰も誰と接触したか、性的サービスを受けていたとか中国人と付き合いがあるなんて白状することはありませんでした。


 ワクチンについても同じことのように思えます。

 やがてワクチンを接種したかは隠されるようになるかも知れません。


 つまり正直に告白されることはないのです。

 「ソーシャル・ディスタンス」という生ぬるい言い方しかなかったように。


 この言葉は「信用ならない他人との接触は避けるべき」という警告と捉えるべきではないのか。




 この言葉は英語になって薄められました。

 しかしありていに言ってしまえば、こういう意味なのではないか。



 だから家族の絆をもう一度確認すべきかも知れません。


 自分の家族、夫や妻が信用できるかどうか、不逞な裏切りをしていないかどうか。


 お互いのことを責任を持ってきちんと考えられるかどうか、それをまず家族で考えるべきです。

 本当に子供にワクチンを打たせるべきなのでしょうか。


 少なくとも家族というのは「他人」、「ソーシャル」ではありません。




 コロナの拡大期、ある種の人々がアリバイ作りのためにわざわざ人々との会食をしていました。

 覚えのある人が、後ろ暗い事実を隠して、「公共の場で知らずに感染してしまった」とアリバイを作るために、わざわざ会食をし、わざわざ集まったのです。

 人と集まろうとする理由はありませんでした。


 今は「コロナ疲れ」などと煽り、旅行を奨励してワクチンを接種させようとする動きがあります。


 もはやコロナ後の新しい世の中になったことを改めて思います。




 武漢から発生したこのウィルス拡大の原因は、まず「性的サービス」から感染した疑いが強かったということです。


 売春婦を買っていたことを勘ぐられたくないため、感染者がばら撒いていたということです。



 これはエイズで起きた現象とまったく同じことを辿っているように思えます。


 そして、これが同じ運命を辿るとすれば、これからワクチンという世界規模の薬害へとつながっていくのかも知れません。


 性的な接触から感染が広がったエイズがやがて薬害エイズになっていったように。






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