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暮らしはまるでクルーズ船

   

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クルーズ船の自治主権


 ネット通販をし、コープやネット通販などから各種配達してもらっています。

 今は送料無料のキャンペーンなんかも頻繁にあります。
 この機会を捉えようと事業者の方々はこうしたキャンペーンを拡大させたりしていますから、ネットでの食料調達はますますお得になっています。

 よく見ていないと逃してしまうのでチェックに忙しいぐらい。

 もちろん、時には感染の雰囲気を見てスーパーで生鮮食品を買ったりしています。


 人を避けるようになって、おかげで自然とよく触れるようになりました。
 色んな小さな自然の活動が素晴らしい。
 最近は曇り空の晴れ間にさえ、とても喜びを感じます。


 これまで、重たいものをわざわざクルマを出して買出しに行ったりしていましたが、無駄なことだったと気がつきました。

 重たくてネットでも値段のそう変わらないものは、ネットから注文する方がむしろ楽だし、結果としてはずっと安いのです。


 コロナリスクも避けられます。



 クルーズ船での暮らし、航海というのは、何も楽なことばかりではありません。

 長い航海では運動やエクササイズもしなければいけませんし、テレビをつければそこに嫌なニュースが流れたりします。

 自室コンパートメントの鍵を管理し、船室の周囲には目配りが必要です。

 もし、きちんと自分の生活のリズムを保ってエンジョイするということができなければ、豪華クルーズ船はまるで刑務所の独房のようになってしまうことでしょう。


 そんなクルーズ船が横浜沖に停泊していました。
 今から思えばまだコロナ感染初期のことでした。
 ダイヤモンド・プリンセス号です。

 船の中は、日本国の領海内の船としても、船内部での秩序維持や判断は船長に委ねられていました。


 その国の領海内だからと、船に立ち入って検査されることはあるでしょう。
 しかし、あくまで船はその船が所属している船籍の法律に従うとされています。

 あのダイヤモンド・プリンセス号の指揮も船長が取っていたのです。


 コロナ感染拡大に関して、自己判断するということは、そういうものだと私は思っています。



 自分で生活のルールを作る。
 自分で考えて感染を避ける。

 船が秩序を維持するように、自分で考えるということです。


 人に号令をかけてもらうのを待って、その通りに動く必要はありません。
 誰かが何かの宣言をしてくれるのを待ったり、それで何か事態が変わると期待して待っていることほど愚かなことはありません。


 私たちはみな、ひとりひとりが自分というクルーズ船の船長なのです。
 コロナ禍での暮らしも、同じものだと私は思っています。


 同調圧力に流されて安心し、不注意が生じたり、うかつに感染してしまっても誰も助けてはくれません。

 感染すれば院内感染を怖れる病院にタライ回しにされ、処置は遅くなり、ちょっとした要因で重篤化すれば命の保障さえありません。
 その重篤化の要因が何かもいまだにはっきりとは解明されてはいないのです


 政治家や専門家はマスク着用や三密などと強調しますが、それは強制力を伴うものでもなければ何らかの保障があるものではありません。

 政府が強制力を持った措置をすれば責任が伴うものですし、保障をしようとすれば基準はハチャメチャです。
 誰も責任を取るなどできるはずもありません。


 結局、こんな風に曖昧なまま、こんな状態が過ぎてゆくのです。



 見知らぬ他人と接触したりクチを聞かなければいいということはハッキリしています。

 中国から持ち込まれた新型のウィルスです。
 中国人と誰が接触したか、私たちには知る手段がありません。誰が接待を伴う夜の街にいたかは分かりません。

 ヒトと接触しなければいい。
 ヒトからヒトへの感染のレベルになっているからです。


 そう考えると友人にどれだけに信用できる人がいることでしょう。
 実はキャバクラで遊んで咳き込んでいた、ホストクラブで騒いでいた、ライブハウスに通っていた、友人として私たちに配慮してくれる者だけが友人です。


 「無自覚だった」などと言ってますがとんでもありません。
 いたるところですでに様々なケースが語られているのです、思い当たるフシがないなんてことは決してない。



 私は信頼できる人としか接触しません。

 改めてこうして考えれば、信頼できる人の少ないこと。
 みんな嘘をつき、騙し、無責任に黙っている人たちばかり。


 会食をわざわざ約束し合い感染し合い、人生の足を引っ張り合う何の罰ゲームでしょうか。

 わざわざカラオケだ、飲み会だと、この時期にに電話で済むこと、ネットで済むことをやるのは度胸試しでしょうか。


 「感染自粛のストレスだ」などと、いったいどんな甘えなのか。


 誰が重症化するかも実は分かってはいません。

 どんな持病があれば重篤化するかも発表はないのです。友人ならば思い当たるフシがあれば接触を避けるはずなのです。



 「お互いの配慮が必要」などと、政治家らが社会的圧力をかけているようですが、それならそれはマスクだけのことでしょうか?

 ご自分がいかがわしい覚えがあるなら、避けるべきはご自分であるはずです。

 症状を感じなかったと言いますが、「咳をしていた」のに、わざわざ付き合ったことにどんな理由があったのでしょう。
 
 友人たちへの配慮はなかったのでしょうか。


 実はここに、「脚を引っ張っても仕方がない」「自分だけ感染するのは嫌だ」という同調圧力があるのです。



 よく言われることですが今回のコロナ感染に関して言われる「同調圧力」とはなんでしょうか。

 「自分もマスクをしているのだからしろ」「自分も我慢しているんだから営業を止めろ」といった、「自粛警察」そういうものだと言われています。


 これは正しい心理学用語の「同調圧力」ではありませんが、それは措いておいても、逆に同じことが言えるということです。


 逆に、感染をさせようとする未必の故意、逆の同調圧力は起こり得るということです。


「注意していた自分が感染してしまったのだ。他の人々が感染しないはずがない」という心理が生まれることになります。


 あまり言われないことですが、確かなことです。


 人にマスク着用を要求するという心理は、ひとたび自分が感染すれば、必ず、「自分が他人に感染させても仕方がない」という論理に転化します。



 こうなったことは各関係者、医療関係者、政治家、マスコミの作った罪でしょう。

 人々をいたずらにに他力本願にさせ、自粛の雰囲気だけを作り出したのですから。

 感染を止める市民の協力などはあり得ない。




 そもそも、別に我が国に同調圧力というものがあるからコロナ感染拡大が抑えられてきたわけはありません。
 そんな実証はひとつもありません。

 マスコミが作り出した「日本人は人と同じことを好む」という類の伝説でしかありません。


 「人に感染してしまってもしょうがない、自分は注意してきたのにに感染してしまったんだから、移しても仕方がない」、その心理が生まれています。

 「感染同調」です。

 笑い事ではありません。信用できる人はほとんどいない。




 私のクルーズ船は私が管理しています。

 船長は私、信用できない人は乗り込めません。





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