[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
極めて疑わしいものがあります。
小池都知事にしてもそうです。
彼らは口先だけで「接種した」といっているだけではないのか。
河野大臣は当初、「自分はアレルギーがあるから打たない」と公言していたものです。
そのことについての釈明もなく、経過も説明されず、いつの間にか河野大臣は接種したことになっています。
誰かに説得されたにしてもその経緯はまるで明らかではありません。
そして国民には「接種の要請」を続けています。
これは「疑わしい」とさえ言ってもおかしくはありません。
河野大臣はわざわざ弁明すればボロが出ると思ったのでしょうか。
だからまるでこの経緯についての説明はありません。
「接種した」と言っておけばいい、そんな話しはどうもあちこちにある気がします。
ちなみに、当サイトでは、河野大臣がワクチンを接種したという証拠は得られませんでした(笑)。
そもそも、ワクチン接種の科学的根拠や医学的根拠はとうに失われているのではないのか。
それはオリンピックを合理的な説明もなしに開催してしまったからです。
合理的な説明もなしにオリンピックを開催したことで、政策的な信頼が失われてしまったからです。
すなわち、ワクチン接種についても単なるムードだけで決められ、リスクや慎重な判断でのことではなかったことになるからです。
政策の一貫性ということからしても、コロナワクチンはオリンピックと同じことでした。
オリンピック開催と同じように、「適当に決められたこと」としかする他にはないのではないか。
オリンピック開催に合理的な説明がされなかったのと同じように、どんなに統計的な嘘や科学的コジツケをしようとも、ワクチン接種にも根拠などないのではないか。
つまりワクチンも、オリンピック開催と同じように、たいした根拠もなしに接種が推奨されているのではないかとできるのではないか。
そんな疑いになります。
これは実はあまりに簡単な「証明問題」です。
中学生レベルの数学w。
★ 結局はワクチン接種の統計にしても科学的な論拠にしても、好きなようにコジツケができるという道具に過ぎません。
そんなものに公正で信頼性のあるものはありません。
各方面から色んな説得や論調が飛び交っています。
すべてがワクチン接種を勧める偏向。
しかし、そもそもオリンピックの開催をしたことで政策の信頼性を損ねたことは挽回できません。
どちらも政府が決めたことだからです。
もしかすると、コロナ感染拡大阻止のために有意義な方策というのは今もなのかもしれません。
全てがテキトーということ。
なにしろ、オリンピックを開催してしまったのですから。
オリンピックと同じようにテキトーにワクチン接種を勧めている可能性があります。
それはこのオリンピックが終了して、死者が増えようがなかろうが、感染が拡大しなかったろうが、あまり意味はありません。
もうその時点で感染者数にしても死者数にしてもまるで中国の経済統計並みに疑わしいものとなっている。
どうせ、「どうだ、オリンピックをやってよかったじゃないか」と言ってくるのでしょう(笑)。
しかしだからと言って、「だからワクチン接種をすればよい結果になる」とは出来ない(笑)。
政策には合理性が必要です。
ワクチン接種の推奨も政策なのですが、この信頼が崩れてしまっているということはワクチンを打たない十分な理由になる。
自己責任であるといいいながらやたらとワクチン接種を勧めているこの異常な状況。
どんな陰謀論でもなく、ただこの一点に尽きるでしょう。
オリンピックもワクチンも、もはやどちらも崩壊した神話でしかありません。
どちらも「カネ」ではないのか。人の命に関わる話がされているわけではない。
ここでは敢えて、世界中のヒステリー、ワクチン推しを異常に進める言論の歪みやその動機、利権、それらを糾弾することはしません。
そうした疑惑の段階はすでに過ぎているかも知れないからです。
あくまで個人の自主的選択と自己責任においての問題とスリ替えられているからです。
この意味で、ワクチン接種の政策的信頼が失われてしまったことについては、特に強調していいと思います。
もはや信頼できない。
もうオリンピックをやってしまったんだから。
それにしても、果たして、河野大臣はワクチンを実際に接種したのでしょうか。
それは誰にも分かりません。証明することはできない(笑)。